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五代十国時代に華北

五代十国時代に華北では、異民族の侵入もあり、戦乱が相次いでいた。このため、華北に住んでいた文化人達は南方に避難した。南唐もこういった文化人達の避難の受け皿となり、文化を大いに発展させた。

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李景・李煜という2人の南唐の君主は、南唐二主と称され、詞(漢文で書かれた詩の一種で、節をつけて歌われた)の名人として知られる。とくに李煜は中国文学史上最高の詞の作者とされている。

絵画の方面では、澄心堂紙とよばれる最高の紙や、李廷珪により最高級の墨が開発されたり、技巧を凝らした硯が作られた。この時代以前は硯にあまり頓着しなかったので、硯が芸術品的価値を持つようになったのは、南唐の文化の賜物であると言える。また、山水画の名画家である董源もこの国に仕えていた。

徐鉉・韓煕載などは名文家として知られる。

経済
南唐は江南地方を安定的に支配し、この地方の開発を進めた。後の南宋時代にはこの地域は大穀倉地帯になるが、それもこの頃の開発によるものである。さらに、淮南で製塩事業を行い、国家の財政を潤した。

中国では伝統的に銅銭を使用していたが、南唐では964年から鉄銭を鋳造しはじめた。しかし、民間は鉄銭を無価値なものだと思い、価値のある銅銭を貯めこんで、売買に用いなくなってしまった。結局、鉄銭と銅銭は等価であったのだが、実際の商業上での使用では鉄銭10枚で銅銭1枚分の価値に等しくなるように運用されていった。このため、政府もこれを追認して、鉄銭10枚は銅銭1枚と価値が等しいものとした。

南唐の君主
先主・烈祖・光文粛武孝高皇帝(李昪、在位937年 - 943年)
中主・元宗・明道崇徳文宣孝皇帝(李景、在位943年 - 961年)、先主の子
後主(李煜、在位961年 - 975年)、中主の子
なお、先主は皇帝となったあと、自らを唐の憲宗の5代あとと称し、自らの父・祖父らに廟号および諡号を以下の通り追贈した。

高祖父・李恪 定宗・孝静皇帝
曾祖父・李超 成宗・孝平皇帝
祖父・李志 恵宗・孝安皇帝
父・李栄 慶宗・孝徳皇帝

南唐の元号
昇元 (937年 - 943年)
保大 (943年 - 957年)
中興 (958年)
交泰 (958年)
以降、後周の元号を使用

顕徳 (958年 - 959年)但し、958年は顕徳5年
以降、北宋の元号を使用

建隆 (960年-963年)
乾徳 (963年-968年)
開宝 (968年-975年)

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2009年04月26日 13:17に投稿されたエントリーのページです。

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