KDD事件(ケイディーディーじけん)とは、1979年10月に明るみに出た戦後日本の汚職事件。
事件の経緯 [編集]
1979年
10月2日 - 成田空港で国際電信電話株式会社(KDD。現・KDDI)社員2人が、海外から高級ブランド品を不法に持ち込もうとして、東京税関成田支所から無申告・過少申告で摘発される。
※この一報は、日本経済新聞が報道、その後の後追いで、朝日新聞がKDDの乱脈経理をスクープし、警視庁・検察庁が合同捜査を開始。
10月25日 - 板野学KDD社長、事件の責任を取り辞任。
12月4日 - 警視庁、関税法違反容疑でKDD本社など23か所を家宅捜索(?5日まで)。
12月5日 - 警視庁、板野前社長宅を家宅捜索。
1980年
1月24日 - 山口清邦KDD本社経営調査室経営分析担当課長(元社長秘書)が、自殺。
2月6日 - 保田重貞KDD前社長付参与が、小田急線向ヶ丘遊園上りホームから特急に身を投げて自殺。
2月24日 - 警視庁、佐藤陽一KDD前社長室長を、業務上横領と関税法違反容疑で逮捕(後日、贈賄容疑で再逮捕)。
3月15日 - 東京地検、佐藤を起訴。
3月18日 - 松井清武郵政省電気通信監理官・日高英実同省郵務局国際業務課長の2人を、収賄容疑で逮捕、疑惑は郵政省へ拡大。
4月5日 - 警視庁、板野KDD前社長を、業務上横領容疑で逮捕、高級美術品などを押収。
4月8日 - 東京地検、松井・日高を起訴。
4月26日 - 東京地検、板野を起訴。
4月30日 - 捜査は政界に触れぬまま終了。
5月7日 - 衆議院逓信委員会の席上、警察庁刑事局捜査二課長より、KDDから政界へ流れた1億2000万円の概要を報告。しかし、受領した政治家190人の名前は一切公表せず。
1985年
4月26日 - 東京地裁、板野元社長に懲役1年6ヶ月(執行猶予3年)、佐藤元社長室長に懲役3年(執行猶予4年)、松井・日高両元郵政官僚には懲役1年(執行猶予3年)及び収賄額分の追徴金を判決。板野以外は控訴せず確定。
1994年
10月 - 最高裁、板野元社長の上告を棄却、懲役10ヶ月(執行猶予2年)が確定。
事件の影響 [編集]
当時、国際通信を独占し巨額の利益を上げる特殊会社KDDについて、捜査の過程で明らかにされたのは、元郵政省高級官僚である板野社長の公私混同・会社を食い物にする経費の使い道であり、世論の怒りは凄まじかった。
また、過去3年間で58億円という巨額であったKDDの交際接待費は、判明分だけで、1億2000万円が郵政族を中心にした政治家190人に対し、パーティ券購入や政治献金としてばら撒かれ、郵政省幹部らに対しても、プライベート海外旅行費等、過剰接待が明らかになった。しかし、政官界への工作状況は、最後まで追及されず、政治家の立件はなされなかった。
当時、浜田幸一衆議院議員のラスベガス賭博事件・鉄建公団乱脈経理事件等、相次いだ不祥事により、大平正芳首相の威信は大きく低下した。1980年5月16日には社会党が提出した内閣不信任案が、自民党反主流派の欠席によって可決され、ハプニング解散となり、憲政史上初めて衆参同日選挙が行われる事態を招来した。
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